PR
よーが行っている言語療育。
言語療法士の先生の勧めで、
今日は耳鼻科の先生に診てもらう。
聴力検査は真っ先にすませているんだが、
これは耳鼻科っていうより咽喉科ってことですかね。
おじーちゃん先生に、
お母さんの心配なことは、と聞かれたので、
「発音ですねえ」
と答えた。
その後は、よーにいろいろ絵を見せて名前を言わせる、
いつものパターンの診察だ。
お茶碗を「ごあん!」(ご飯)、
猫を「らいおん!」
鳩を「とりあん!」(鳥さん)と、
よー、マイペース絶好調。
結果。
「お母さん、ちゃんと名前を教えてあげないと」
「はあ」
「言葉を理解していないのに発音だけしっかりさせるのは、
子供にとってただの訓練になってしまうんでね」
「でも理解している言葉でもはっきり発音できてないんですよ。
お兄ちゃんの名前とか。これはどうなるんですか?」
「ああ、それは発音しづらい言葉もありますから」
実際に発音しづらいのかどうか、ゆーの名前を言おうとしたが、
先生、無視。
「とにかくね、『鳥』じゃなくて、
『鳩』『すずめ』『からす』というふうに、
まずは名前を教えてあげるのが大事」
……先生、人の話聞く気ないでしょ。
ハト、スズメ、カラス、は、ゆーの名前より発音しやすいと?
(ついでに言えば教えてるぞ。オナガとかオウムとかもな!)
それにあれだけいろいろ言えるポケモンはどうなるんだ?
「英単語だって、意味もわからないのに発音やっても、
なんの意味もないでしょう」
はあ、聞き流し法とかありませんでしたっけか?
あと、赤ちゃんはわからないまま聞いて覚えるって話、
あれはどうなるんですか?
と、このあたりで、私が先生を診断。
うん、私の考え方とは合わん人だ。
確かにむこうは専門家で、
私は一素人だが、
しかし専門家なら誰にだってハイハイ従う気もない。
やっぱりここで受けた精神科のじーちゃん先生でも思ったが、
どうもこういう人って、
ナマの子供を見てる気がしないんだよな。
「理想の発達」みたいな元パターンがあって、
そこからはずれるいくつものパターンを
いかに元パターンに近づけていくか、
そんな考え方に基づいている気がする。
しかも、その元パターンはたったひとつで、
幅がやたらと狭いんだ。
そして近づける方法も限られている。
統計学的に見ればそうだと思うが、
しかし目の前にいるのは、
生きて、それなりに自分の考えを持って動いているという、
個性ある子供なのだ。
方法論は大事だよ、
だけどそれをいかに生きた子供に応用していくか、
それが臨床に携わる専門家の役目じゃないのかい?
で、たいていは「母親の育て方」に来るんだよなーorz
こういう方のお子さんはさぞや理想的に育てられたのだろう、
などと、つい皮肉な目になってしまう。
誰だっけ、
私に子供をくれたらどうとでも育ててみせる、
とかなんとか言った心理学者。
あんな感じの考えをなんとなく感じるんだよな。
言語療法士の先生の勧めで、
今日は耳鼻科の先生に診てもらう。
聴力検査は真っ先にすませているんだが、
これは耳鼻科っていうより咽喉科ってことですかね。
おじーちゃん先生に、
お母さんの心配なことは、と聞かれたので、
「発音ですねえ」
と答えた。
その後は、よーにいろいろ絵を見せて名前を言わせる、
いつものパターンの診察だ。
お茶碗を「ごあん!」(ご飯)、
猫を「らいおん!」
鳩を「とりあん!」(鳥さん)と、
よー、マイペース絶好調。
結果。
「お母さん、ちゃんと名前を教えてあげないと」
「はあ」
「言葉を理解していないのに発音だけしっかりさせるのは、
子供にとってただの訓練になってしまうんでね」
「でも理解している言葉でもはっきり発音できてないんですよ。
お兄ちゃんの名前とか。これはどうなるんですか?」
「ああ、それは発音しづらい言葉もありますから」
実際に発音しづらいのかどうか、ゆーの名前を言おうとしたが、
先生、無視。
「とにかくね、『鳥』じゃなくて、
『鳩』『すずめ』『からす』というふうに、
まずは名前を教えてあげるのが大事」
……先生、人の話聞く気ないでしょ。
ハト、スズメ、カラス、は、ゆーの名前より発音しやすいと?
(ついでに言えば教えてるぞ。オナガとかオウムとかもな!)
それにあれだけいろいろ言えるポケモンはどうなるんだ?
「英単語だって、意味もわからないのに発音やっても、
なんの意味もないでしょう」
はあ、聞き流し法とかありませんでしたっけか?
あと、赤ちゃんはわからないまま聞いて覚えるって話、
あれはどうなるんですか?
と、このあたりで、私が先生を診断。
うん、私の考え方とは合わん人だ。
確かにむこうは専門家で、
私は一素人だが、
しかし専門家なら誰にだってハイハイ従う気もない。
やっぱりここで受けた精神科のじーちゃん先生でも思ったが、
どうもこういう人って、
ナマの子供を見てる気がしないんだよな。
「理想の発達」みたいな元パターンがあって、
そこからはずれるいくつものパターンを
いかに元パターンに近づけていくか、
そんな考え方に基づいている気がする。
しかも、その元パターンはたったひとつで、
幅がやたらと狭いんだ。
そして近づける方法も限られている。
統計学的に見ればそうだと思うが、
しかし目の前にいるのは、
生きて、それなりに自分の考えを持って動いているという、
個性ある子供なのだ。
方法論は大事だよ、
だけどそれをいかに生きた子供に応用していくか、
それが臨床に携わる専門家の役目じゃないのかい?
で、たいていは「母親の育て方」に来るんだよなーorz
こういう方のお子さんはさぞや理想的に育てられたのだろう、
などと、つい皮肉な目になってしまう。
誰だっけ、
私に子供をくれたらどうとでも育ててみせる、
とかなんとか言った心理学者。
あんな感じの考えをなんとなく感じるんだよな。
この記事にコメントする