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「専門家が書いたエッセイ」は大好きだ。
しかも獣医モノ。
こちらの舞台はカナダではあるが、
英国獣医師Dr.ヘリオットの、
愛と笑いにあふれたヨークシャー・デイルを期待して読んでみた。
……にしても、内容以前に、
このタイトルの安っぽさ(失礼)はどうにかならんのかヽ(`Д´)ノ
原題は"Don't turn your back in the barn"、
「家畜小屋では背を向けるな」
意訳すると「家畜小屋では後方注意」って感じか?
ズバリ最初の章題が「雄ヤギには背を向けるな」なので、
そのまま本のタイトルにするのは気が引けたんだろうか。
「獣医」を「動物のお医者さん」と言い換えるのは、
日本語としてはまったく間違っちゃない。
んが、『動物のお医者さん』というそのものズバリな、
しかもかなりの有名マンガがあるだろう!
このタイトルを決めたのが翻訳者だか編集だかは知らないが、
知らなければ無知すぎるし、
知ってて使ったのならセンスが、というか根性がよくない。
このフレーズを使った時点でパチもん臭・二番煎じ臭が漂ってるよ!
で、「毎日が冒険」と来たもんだ。
そりゃ600kg超の牝牛と格闘するのは立派に「冒険」だろうが、
こと読み物に関して期待する「冒険」とは意味合いが違うだろう!
また筆者のデイヴ・ペリン先生は、
たしかに210cmの大男ではあるものの、
断じて肉体派ってタイプじゃないのだ。
70年代カナダの田舎町で、
新米獣医師ながら自分の病院をなんとか構え、
常に患者の歯茎の色と直腸体温を丁寧に確かめ、
ビジネスの成功を願いながらも動物好きのお人好しという、
どっちかっていうと繊細な印象の人なのだ。
「冒険」って言葉は似合わない。
内容無視してとにかく興味を惹きそうなタイトルつけただけじゃないか、
なんて疑惑がちらほら。
のっけのタイトルからセンスのズレを感じてしまったが、
内容は……うん、まあ時間の無駄ではなかった。
元の文章か翻訳のせいか、ときどき読みづらいところはあったけど。
ただ、牧歌童話といったDr.ヘリオット的世界を期待すると、
このカナダの獣医師事情は全然違う。
ヨークシャーの前時代的で個性的な住人の代わり、
クレストンの住人は現代的で、その分、画一的だ。
治療法も科学的に統一されていて、
なおかつやけに詳細に記述されていて、
私のような門外漢には正直なにがなんだかわからなくなる。
ケトン体の上昇って、具体的にはどうなるんだ???
40年代と70年代という時代の差か、
イギリスとカナダというお国柄の差か、
はたまた書き手の差か、それはわからない。
が、ともかく根底にある世界観が、
Dr.ヘリオットとDr.ペリンではまったく違っているんだろう。
前者は、人とこの世界を愛している。
よく考えればただの迷惑な奴でしかない人間も、
不愉快きわまりない状況も、
Dr.ヘリオットにかかるとユーモラスに見えてくる。
そんな相手に迷惑をかけられる自分や、
状況に右往左往・四苦八苦する自分もひっくるめて、
ちょっぴり離れたところから笑えるセンスが、
この人にはあるんだと思う。
読者はその姿勢にひっぱられて、不幸話を楽しく笑って読めるのだ。
一方後者は、もちろん人を愛している。
世界も受け入れているだろう。
が、不愉快な奴や出来事は不愉快以外のなにものでもないんだと、
内心断定してしまっている気がする。
個人的にはそういう心情はよくわかるし、
私だったら近寄りたくもない相手とよくつきあっているとは思うのだが、
読み物としてはそれでは少々魅力に欠けてしまうのだ。
ドキュメントというほど細かな苦労が書かれているわけでもなし、
人情話にするには患者の飼い主への理解が弱いし、
なんとなーく中途半端なんである。
やっぱりDr.ヘリオットは「おとぎ話」を書いたんだろう。
だけどそういうフィクションのほうが、
門外漢の私には面白かった。
クレストンの住人は現代的で、その分、画一的だ。
治療法も科学的に統一されていて、
なおかつやけに詳細に記述されていて、
私のような門外漢には正直なにがなんだかわからなくなる。
ケトン体の上昇って、具体的にはどうなるんだ???
40年代と70年代という時代の差か、
イギリスとカナダというお国柄の差か、
はたまた書き手の差か、それはわからない。
が、ともかく根底にある世界観が、
Dr.ヘリオットとDr.ペリンではまったく違っているんだろう。
前者は、人とこの世界を愛している。
よく考えればただの迷惑な奴でしかない人間も、
不愉快きわまりない状況も、
Dr.ヘリオットにかかるとユーモラスに見えてくる。
そんな相手に迷惑をかけられる自分や、
状況に右往左往・四苦八苦する自分もひっくるめて、
ちょっぴり離れたところから笑えるセンスが、
この人にはあるんだと思う。
読者はその姿勢にひっぱられて、不幸話を楽しく笑って読めるのだ。
一方後者は、もちろん人を愛している。
世界も受け入れているだろう。
が、不愉快な奴や出来事は不愉快以外のなにものでもないんだと、
内心断定してしまっている気がする。
個人的にはそういう心情はよくわかるし、
私だったら近寄りたくもない相手とよくつきあっているとは思うのだが、
読み物としてはそれでは少々魅力に欠けてしまうのだ。
ドキュメントというほど細かな苦労が書かれているわけでもなし、
人情話にするには患者の飼い主への理解が弱いし、
なんとなーく中途半端なんである。
やっぱりDr.ヘリオットは「おとぎ話」を書いたんだろう。
だけどそういうフィクションのほうが、
門外漢の私には面白かった。
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