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子供を産んで、決定的にそれまでと違うと思ったことのひとつは、
通りすがりの人に声をかけられる率。
特に人生の先輩であるおねーさま方には、
そりゃあいろいろと声をかけてもらった。
とはいえ、ゆーもよーも赤ちゃんを脱した今は、
すれ違えば大抵ひと言あった一時期ほどではない。
が、昨日は久しぶりに声をかけられた。
スーパーのサッカー台で、ゆー&よーと荷物を詰めていた時。
「まあ男の子二人なの、仲いいわねえ。
大変だろうけれど、かわいいわねえ」
ちっちゃなおばあちゃんがニコニコと言ってくれた。
こういう時、実はなんと返せばいいか微妙に困るw
「ええ、そうなんですよ~」
もバカ親っぽいかなとか、
「えへへ~」
はもっとそうだよなとかw
結局ごく無難に「どうもありがとうございます」しか言えない。
まあ彼女たちの目的は子供にあって、
オマケである私の言葉なんかあまり耳に入ってないと思うので、
無難が一番だろう、たぶんw
だけど、こうして肯定してもらえるのはとてもうれしい。
毎日一緒にいると、
イライラさせられることのほうがつい目につくけれど、
そうそう、こいつらカワイイところもあるんだよな、
と思い出させてくれる。
また明日もがんばるぞー、と力がわいてくる。
言霊とまで行くかどうかはわからないけど、
やっぱり言葉には力があるよなー。
私は運がいいらしく、
「あらあら、こんな薄着で寒いでちゅねー、かわいそう」
「やっぱりママは女の子も欲しいわよねえ」
といったよけいなお世話様タイプのおねーさまとは縁遠い。
当時まだ割と珍しかったスリングも、
「今はこんなものがあるの、便利ねえ、いいわねえ」
と感心してもらったくらいで、
「こんな窮屈な格好させて苦しそうじゃない」
的な非難は一度もなかった。
(「ええっ、ここに赤ちゃんがいるの?」はあったが)
幼稚園で知り合った人の話では、
この近所でもよけいなお世話様タイプ出現はあったそうだから、
そんな人と遭わなかった私は本当に運がいいんだと思う。
でなきゃ顔に「御意見無用」と書いてあったかw
私も、力を与えられる肯定的なおばあちゃんになりたいものだ。
通りすがりの人に声をかけられる率。
特に人生の先輩であるおねーさま方には、
そりゃあいろいろと声をかけてもらった。
とはいえ、ゆーもよーも赤ちゃんを脱した今は、
すれ違えば大抵ひと言あった一時期ほどではない。
が、昨日は久しぶりに声をかけられた。
スーパーのサッカー台で、ゆー&よーと荷物を詰めていた時。
「まあ男の子二人なの、仲いいわねえ。
大変だろうけれど、かわいいわねえ」
ちっちゃなおばあちゃんがニコニコと言ってくれた。
こういう時、実はなんと返せばいいか微妙に困るw
「ええ、そうなんですよ~」
もバカ親っぽいかなとか、
「えへへ~」
はもっとそうだよなとかw
結局ごく無難に「どうもありがとうございます」しか言えない。
まあ彼女たちの目的は子供にあって、
オマケである私の言葉なんかあまり耳に入ってないと思うので、
無難が一番だろう、たぶんw
だけど、こうして肯定してもらえるのはとてもうれしい。
毎日一緒にいると、
イライラさせられることのほうがつい目につくけれど、
そうそう、こいつらカワイイところもあるんだよな、
と思い出させてくれる。
また明日もがんばるぞー、と力がわいてくる。
言霊とまで行くかどうかはわからないけど、
やっぱり言葉には力があるよなー。
私は運がいいらしく、
「あらあら、こんな薄着で寒いでちゅねー、かわいそう」
「やっぱりママは女の子も欲しいわよねえ」
といったよけいなお世話様タイプのおねーさまとは縁遠い。
当時まだ割と珍しかったスリングも、
「今はこんなものがあるの、便利ねえ、いいわねえ」
と感心してもらったくらいで、
「こんな窮屈な格好させて苦しそうじゃない」
的な非難は一度もなかった。
(「ええっ、ここに赤ちゃんがいるの?」はあったが)
幼稚園で知り合った人の話では、
この近所でもよけいなお世話様タイプ出現はあったそうだから、
そんな人と遭わなかった私は本当に運がいいんだと思う。
でなきゃ顔に「御意見無用」と書いてあったかw
私も、力を与えられる肯定的なおばあちゃんになりたいものだ。
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